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資料

○テニアン島の守り

・陸軍の主力

歩兵第五十連隊
織方敬志大佐以下二千八百名
歩兵第百三十五連隊の一部と増員隊
陸軍部隊合計
約四千名

・海軍の主力

第五十六警備隊
大家悟一大佐以下千三百四十名
海軍航空隊
第一航空艦隊司令長官
角田覚治中将以下約三千名
海軍部隊合計 約四千参百名

・民間邦人

約一万五千名

・主装備

十五糎海岸砲
六門
三年式十二糎海岸砲
六門
高角砲
十四門
二十五粍二連装機銃
二十四門
陸軍山砲・速射砲
相当数
戦車
十両

○海軍第五十六警備隊編成(暗号名:ウ二一、ウ三三九)

総兵員
大家悟一海軍大佐以下千三百四十名
本部兵員
百十名

・小川隊・ペペノゴル砲台(小川隊本部・戦闘指揮所)

砲台長
小川和吉海軍大尉(小川隊隊長)
先任伍長
中村春一上曹
兵員
七十名
主装備
アン式十五糎海岸砲三門

・小川隊・二本ヤシ柴田砲台

砲台長
柴田卯助海軍中尉
先任伍長
吉野悌二上曹
兵員
七十名
主装備
アン式十五糎海岸砲三門

・小川隊・アシーガ沼田砲台

砲台長
沼田正明海軍中尉
先任伍長
兵員
六十名
主装備
三年式十二糎海岸砲三門

・及川隊・新湊砲台

砲台長
及川末吉海軍中尉
先任伍長
森下正一上曹
兵員
五十六名
主装備
三年式十二糎海岸砲三門

・芳賀隊・工作隊(金工、木工、運輸)

隊長
芳賀新作海軍大尉
先任伍長
今井喜三上曹
兵員
約五十名
装備
ダイハツ(大型発動艇)、トラック

・田中隊・カロリナス砲台(八十三防空隊)

砲台長
田中明季海軍大尉
先任伍長
千葉菊治郎上曹
兵員
百二十三名
主装備
十二糎高角砲四門
二十五粍二連装高射機関銃十数門

・田中砲台(八十二防空隊・第一飛行場及び第二飛行場付近の防備)

砲台長
田中吉太郎海軍大尉
先任伍長
不詳
兵員
二百名
主装備
十二糎高角砲十門
二十五粍二連装高射機関銃十数門

・佐藤隊

隊長
佐藤幸助海軍特務大尉
副長
新宅数馬海軍少尉
分隊士
池田海軍兵曹長
山本海軍兵曹長
屋代海軍兵曹長
先任伍長
坂田海軍上等兵曹

○テニアン島 海軍第五十六警備隊将校上級下士官名一覧表

司 令(海兵卆)

海軍大佐 大家 悟一

副 司 令(海兵卆)

海軍大尉 小杉 敬三


海軍特務大尉 小川 和吉

海軍特務大尉 佐藤 幸助

海軍大尉 芳賀 新作

海軍大尉 田中 明秀

海軍大尉 田中吉太郎

(海兵卆)海軍中尉 柴田 卯助

(海兵卆)海軍中尉 佐竹  ?

海軍中尉 及川 末吉

海軍中尉 山倉 巳未

海軍中尉 沼田 正明

海軍中尉 池田 三良

海軍中尉 日下 春美

海軍中尉 郡司 政雄

海軍中尉 秋山 武雄

海軍少尉 新宅 数馬

海軍兵曹長 中野 義雄

海軍兵曹長 山下鉄太郎

海軍兵曹長 石黒末太郎

海軍兵曹長 佐藤 久男

海軍兵曹長 橋本宗一郎

海軍兵曹長 桑原 幸三

海軍兵曹長 宮林 治郎

海軍兵曹長 多田  盛

海軍兵曹長 佐藤 健雄

海軍兵曹長 臼井富士作

海軍兵曹長 成毛  ?

海軍兵曹長 管  清蔵

海軍兵曹長 国井 武雄

海軍兵曹長 藤田 藤助

海軍兵曹長 須藤 一男

海軍兵曹長 並木  満

海軍兵曹長 高木 利雄

海軍兵曹長 門馬  事

海軍兵曹長 増渕  正

海軍兵曹長 佐藤 善松

海軍兵曹長 斉藤 鉄男

海軍兵曹長 天野 稲光

海軍兵曹長 久保  留

海軍兵曹長 村上富之丞

海軍兵曹長 高橋 正雄

海軍兵曹長 池田 ?

海軍兵曹長 山本 ?

海軍兵曹長 屋代 ?

上等兵曹 吉野 悌二

上等兵曹 木島新治郎

上等兵曹 今井 喜三

上等兵曹 間後  清

上等兵曹 橋本 太一

上等兵曹 飯田  榮

上等兵曹 茂田井千代平

上等兵曹 岩間 成海

上等兵曹 鈴木  猛

上等兵曹 渡辺 宗重

上等兵曹 坂本春五郎

上等兵曹 田中  操

上等兵曹 高山  龍

上等兵曹 小栗 金蔵

上等兵曹 佐藤 義一

上等兵曹 高橋喜平治

上等兵曹 杉本 春雄

上等兵曹 山本 武夫

上等兵曹 佐藤 義春

上等兵曹 斉藤 忠男

上等兵曹 鈴木賢一郎

上等兵曹 知念  興

上等兵曹 櫻井 波二

上等兵曹 遠藤 金吾

上等兵曹 秋野平五郎

上等兵曹 須之内恒次

上等兵曹 千葉菊治郎

古参上等兵曹 中村 春一

上等兵曹 坂田  ?

以下一等兵曹、二等兵曹多数以上の兵員の一部と兵機がロタ島に派遣されたらしく

○第一航空艦隊編成

第一航空艦隊司令長官角田覚治海軍中将以下二百名が本部要員としてハゴイの第一飛行場近くに鉄筋コンクリートの頑丈な二階建ての本部司令部にて各航空部隊の指揮を取って居た本部は、直下のワシ部隊なれど昭和十九年初めに使用し得る飛行機は持たなかった。

・三二一 空の部

海軍中佐 久保徳太郎を司令とし、トビ部隊を編成。夜戦用戦闘機月光なり。

・五二三 空の部

海軍中佐 和田鉄二郎を司令とし、タカ部隊を編成。テニアン西部カーヒーの第二飛行場を使用、最初は三二一空のトビ部隊と同一飛行場を使用しタカ部隊の主力戦闘機は彗星艦爆なり。

・龍部隊の主力機は一式陸功なり。

他のテニアン基地には

一二一 空の部
海軍中佐 岩尾 正次
三四三 空の部
海軍中佐 竹中 正雄
七六一 空の部
海軍中佐 松本 真実
一〇二一空の部
海軍中佐 栗野原仁志
空の部合計
四六〇名
航空艦隊通過者
約二〇〇名
二三航空戦隊関係
約四五〇名
その他、建設要員
約八〇〇名

右、以上の部隊に搭乗員と地上部隊員が昭和十八年夏より十九年春迄駐留したが、昭和十九年三月頃にトビの一部がヤップ島に進駐し、タカ部隊の一部がパラオのベリリウ島に進駐し、トラック諸島に米軍機の空襲時にテニアン基地に駐機した全機と搭乗員は米艦隊に勇躍突っ込み、機と運命を共にしテニアン基地に帰還せず。五二三空の鷹部隊は最初静岡の大井航空隊より三重航空隊へ、しばらくして改造の航空母艦に乗船、テニアン島に上陸。旧ソンソン国民学校を宿舎としてやがてカーヒーの第二飛行場へ、そこで鷹部隊の先任下士の猪塚三四五上等機関兵曹と戸室林三郎兵曹、松本兵曹、大杉昇他の兵にて中古の飛べない彗星二機を組み立て、なんとか苦労して飛べるようにしてサイパンの上陸米軍と米航空母艦に逆空襲を行った、鷹部隊の整備科の勇士も居たのだ。

昭和十九年六月に入ると米機の空襲が連日行われ、サイパン南端より米軍の長距離砲が物凄い着弾にて地上にて動く物体は米軍機グラマンにて掃射され地上にての活動は危険な状態となってしまった。

五二三空の鷹部隊の機関科員の植田常明一等機関兵は、昭和十九年二月末か三月初旬にテニアンに上陸、旧テニアン、ソンソンの国民学校を宿舎として後にカーヒー第二飛行場へ機関科の任務に付く十九年四月より、米軍機のテニアンへ対する、特に飛行場に対する空襲が激しく、テニアン全島の対空砲十二糎高角砲及び二連装高射機関銃が応戦し、勇ましく突っ込んで来る米機グラマンに命中し搭乗員の米空軍中尉か大尉が主翼を吹き飛ばされ、キビ畑に墜落寸前落下傘にて降下、付近の日本海軍に包囲され日本空軍部隊の指揮所に連行され尋問されたが、米将校はアメリカは必ず勝つと云い米機動部隊の様子等頑として口を割らず、夜間の小屋にて見張りの日本兵のすきを見て首を吊り自決をしてしまったのだ。米空軍パイロットにも筋金入りのアメリカ魂の持ち主も多勢居たのだ。遺体は植田氏や他の航空隊員により埋葬された。

第一航空艦隊の本部も米軍機の物凄い空襲を受け、ラソ山の西側山腹の洞窟に最後の司令部を置き、昭和十九年七月の三十一日正午の第五十六警備隊の米戦車に肉弾突撃。八月の一日と二日に陸軍の残存隊員と海軍の航空隊が米戦車に向かい突撃、全滅したのである。(注・テニアンの航空隊の地上要員は、陸戦用の武器といえば単発の小銃を三名程にて一丁位しか持たず、後の兵は手榴弾一個づつ位持っての戦闘状況なり)

角田司令長官と参謀達も皆カロリナス台上にて自決して果てた。

ここに於いて我が海軍航空隊の精鋭の集団である第一航空艦隊の保有する飛行機の全部と飛行技術の指揮者と作戦の将校の全部を完全に失ってしまったのです。テニアンの飛行場全部と島の九割を占領されてからは、機械力によってハゴイの第一飛行場と第四飛行場を合わせる様にして巨大な四本の滑走路が出来上がり、この滑走路より四発の巨大なB二十九型爆撃機が発進し日本本土へ向かう。そして広島と長崎へ世界で初めて原子爆弾が投下され、日本が降伏したのだ。

平和観音讃仰和讃

西条八十作詞 松本尊憲作曲

嵐は過ぎてうるわしく

平和の空は輝けど

呼び返すすべもなし

ああ戦にいたましく

行けるみたまよ

さまようみたまよ

われらは頼む観音の

やさしの救い大慈悲を

祈りつつ慰めん

ああ国のためはかなくも

逝けるみたまを

つみなきみたまを

心の平和あらずして

地上に平和あるべきや

いざ頼れひとすじに

この観音のみ姿は

生あるゝ平和を

久遠の平和を

趣意書(サイパン・テニアン慰霊団)

謹んでサイパン・テニアン両島の戦没者の御冥福を御祈り申し上げます。

サイパン・テニアン島の守備隊が玉砕して早四十八年目の夏も近く歳月の流れと共に戦争の悲惨な様相もしだいしだいに忘れ去られようとして居ります。多くの戦友が日本の太平洋の防波堤として散っていった御霊を御遺族の方々と共に尊い御霊を慰めるため、テニアンの生存者が両島の激戦地に於いて皆様方と心のこもった慰霊祭を行い度いと日夜考えて居ります、死にぞこないの一敗残兵でございます。

幸に僧侶の参加も予定して居りますので意義のある慰霊行となるものと存じて居ります。

テニアン警備隊本部(ウ二一、ウ三三九)大家吾一司令ほか約四百名の残存兵もカロリナス台上南端にて玉砕した時の生存者僅かに二名のみ、今回カロリナス台上の玉砕された場所も同じ八月二日に慰霊祭を執り行う予定です。

現地に於いて当時の様子などお話を致し度いと思って居ります。幸い現地に入る許可も頂けるものと思って居りますので、是非カロリナス台上慰霊祭に参加戴き度くお願い申し上げます。

皆様方御遺族の方々、一般の方々の心よりの御参加と御支援をお願い申し上げます。

平成四年四月

サイパン・テニアン慰霊団 世話人 相良智英